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つれづれなるまゝに、日くらし画面に向かひて

雨はいつか

目が覚めた。時刻は5時57分。

今日が平日だったらもう家を出ていないと仕事には間に合わない。だけど今日は日曜日。何も問題はない。あるとすれば目が覚めるのが少し早すぎた事だろう。

だけど、こんな夢を見たので二度寝はせずにつれづれなるまゝに画面にむかほうと思う。

 

夢には家族がたくさん出てきた。奥さん、息子、母さん、父さん。そして、色んな所にいた。海の見える場所、公園。どこかの店の中。どれも今まで過ごしてきたであろう日常の風景だった。俺は出掛けるのが好きなのでその時も家族で出掛けてたのであろう。息子や奥さんと遊んだり。母さんと話したり。そしてなぜかヒゲを生やしセンター分けのイケオジになった父さんも楽しそうにそこに居たり。とにかく俺から見える家族の顔は皆笑顔だった。

 

気づけば俺は結婚するまで過ごした団地のキッチンに繋がる廊下の前に居た。そしてそこには風呂上がりのせっかく生やした髭を剃ってしまった父さんの姿があった。

俺:なんでヒゲ剃ったん?

父:いや、なんで髭生やしとん言うから。

俺:そうなん。生やしとったほうがかっこえかったのに。

母:そうよ。

俺:剃り残しあるけど。ここら。(ちょっと父さんらしいな。)剃るやつええのあるけど。貸そうか?

父:そうなん。責任取ってや。

俺:あ、そういや父さん本物?母さんも父さん見えとん。

母:うん。

父:うん。

そこで俺は目を覚ました。

 

やっぱり、夢だったか。

父は見えるところにはもう居ない。俺が二十歳の時に居なくなってしまった。

中学時代の激しい反抗期、不登校になってしまった高校時代を乗り越え、自動車整備の専門学校に入り、そろそろ和解して一緒に酒でも飲めたら良いなと思った矢先だった。父さんは仕事や家族がうまく行かず思い悩んでいた時だったらしい。

 

それからというもの、新卒入社で奇跡的に配属された高級車ディーラーでは人間関係に悩まされ退職したり、その後も鬱になったり、流行り病にかかって死にかけたり、仕事も、お金も、心身ももうグダグダな20代を過ごした。

唯一維持できたのは学生時代に付き合い、25歳で結婚し、28歳で家を買ったこの家族との生活だけだ。

だけど、その辛かった20代も終わり30代になって今の会社に入社し、それなりに評価され会社を特集したテレビにも出演したり、仕事も上手くいくようになった。子供も大きくなって家族とも幸せに暮らせているし母さんとも心から楽しんで話したり過ごしたりでるようになった。ようやく、だらだらと降り続けた雨が上がり雲の切れ間から日が差しはじめたのだろう。

 

きっと、父さんがまだ居れば、父さんもこんな日々を過しているのではないだろうか。まぁ、見えないだけでそうやって普通に過ごしてるのかもしれないしね。

今、小雨っぽいし墓参りでも行こうか。

 

 

雨はいつか上がる。

 

究極の選択

今の俺は32歳。

以前書いたコンクリート製品の製造メーカーに無事入社し今は下積みで製品の製造をしている。

12月1日に入社したから早いもので9ヶ月が過ぎようとしている。早くも後輩が出来たり、色々な部署の仕事を手伝ったり、そしてスランプにも陥り今なんとかしようとしているところだ。

生活の方は家、車、家族は何とか維持できているが収入が以前と比べ上がったにも関わらず出費も増えてしまったのでお金は相変わらずあまり無い。自転車操業も数年も続けているのでベテランの域である。

 

そんな中、最近保険を見直した。

以前入っていた保険は自分がコロナと後遺症で死にかけた時も保険料だけ取っていき何の役にも立たなかったし、今お金もあまり無いので解約返戻金を分捕るとともにいい保険があれば入ろうと思って。

そして無事入ることができ、もしものことがあればこの家と学資保険のお金に加え以前の保険の2倍程のお金が入るようになり、奥さんと一人息子に家と大学卒業までの資金をプレゼントできる無敵の状態になったのである。

 

そんな中、俺は夢を見た。

内容はこうだ。

”今死ねば家と大学卒業の資金をプレゼントできます。どうしますか?”

俺ははじめ、

”じゃぁ、死にます。”

と答えていた。実は以前もあったが最近も’どっちが良いのだろう’と思う事があったからだ。

そして、その契約が決まる直前、、、

”やっぱ、生きます。たった一日でも凄く楽しめて満足できるから。”

そこで目を覚ましたのだが、俺はその夢を見る前日こんな一日を過ごしていて、それが二度と来なくなるのは想像もしたくなかったのだ。

 

2025年9月21日(日)

この日は俺の母さんと俺の家族と地元児島のかつ屋さんでランチを食べた。息子は珍しく数日前から楽しみにしていた。

俺は美味しいカツカレーをご馳走になり、おまけに悩みの種だったランドセル代もありがたく頂き、家にあった服や鞄も貰い大満足だった。

息子も奥さんも美味しいカツ料理を食べ喜んでいた。

そして駐車場に行った時、母さんの車のフロントバンパーがズレている事が分かった。見るとバンパーをとめるクリップが経年劣化で全部飛んでいた。”また直すわ。”と言いその場は別れ、俺の家族は児島のホームセンターと近くの大きな公園に行くことにした。公園で遊ぶついでに俺はホームセンターでクリップと一目惚れしたケイトウを買った。そして、しばらく遊んだあと瀬戸大橋の展望台に行ったり、子供の頃から行っている天満屋ハピータウンに行って楽しんだあと、俺の育った団地に戻った。

すると、ラ・ムーのコーン茶とちょっとしたお菓子を準備してくれた母さんと、ずっと会ってなかったばあちゃんの元気そうな姿があった。

車は一瞬で直り、そんな長時間ではなかったが母さんとばあちゃんと色々話すことができた。そして二人は俺の家族に会えて本当に喜んでいた。かけがえのない幸せな時間だった。

 

俺は別に大金も持ってないし、それを派手に使い派手に楽しんだ訳でもない。遠くに行ったわけでもない。ただ、隣町の俺の育った街で家族と会っただけだ。でも、本当に心から満たされた最高の一日だった。

 

また、こんな一日を過ごしたいな。本当に。

 

 

母さんとばあちゃんと俺の家族の健康と幸せを願う。

幸せはこう言う事。

2024年11月17日になった俺は、何時ものように我が家のキッチンでエンシェント・クランで作ったウイスキーソーダを飲んだあと寝室に来たところだ。

 

今日は一粒万倍日らしい。幸せも万倍になるよう幸せについて書いてみようと思う。

 

寝室の扉を開けると奥さんがいつも通り夜更かししながらスマホをつついている。そして、5歳になり、かなりデカくなった息子がとんでもない寝相でスヤスヤ眠っている。

 

それを見て笑う。

幸せは、こういう事。

拝啓、29歳の俺へ。

29歳の俺へ。

”今は常に通過点”っていう記事。見返したよ。

2024年10月23日の夜11時半ごろの俺は31歳で、今は最近気に入ってるジョニーウォーカー・ブラックラベルでウイスキーソーダを作ってキッチンで飲んでるところだよ。

10年ほど前だったか、街で良く遊んでたやつにラインしながら。。。

 

あれからの事を教えよう。

あれから俺は、また国産車ディーラーに整備士として復活をするんだ。1級を取る前にね。

そして、そこでは年下だけど頼れる素晴らしい仲間達に出会うんだ。慣れるまでは大変だったけど、今までやったこと無い仕事もどんどん任されたり、苦戦しながらも作業時間を短縮させて行ったり、今までに無い活躍を見せた。

 

だけど、はじめに感じた違和感がどんどん浮き彫りになっていった。工程管理が滅茶苦茶で思うような作業が出来ない。そして、車の販売不振のあおりを受け経営統合や事業所縮小の話も出てきて俺は短かったけど転職を決意する。膝や腰をやってしまったってのもあるんだけどね。

 

でも、これだけは言える。本当に良く頑張った!

だから、別に仕事が上手くいかなかったからと行ってあんまり思い詰める必要はない。

 

家族も家も変わることなく生活を維持して行けてるし、友達にも恵まれてなんやかんや楽しくやれてる。

 

また、自動車整備士の経験も決して無駄にはならなかった。

車3台が絡む事故遭遇した時も自然と飛んでって、クラクションが鳴りっぱなしの車のバンパーをもぎ取って配線切って止めたり、フレームが曲がってタイヤに干渉した車もバンパーもぎ取ってなけなしのモンキーレンチでフレームを曲げて動くようにして事故処理手伝ったり。とにかく目の前の事に取り組んでいる!

 

まぁ、最近ちょっとだらけてるけどね。

 

今日は気になる仕事の面接に行ってきたところだ。

ずっと目標にしてきた”メーカー”の仕事。

コンクリート製品の製造や設計の仕事だ。

一次面接は3週間近く準備してきたから幸い順調に進んで、次は28日に最終面接が決まった。

 

これが決まれば、はじめは現場で通勤距離も死ぬほど遠くなるけどゆくゆくは設計で近所の事務所で頑張ることができる。それでも、目標としてきたメーカーの仕事だし、休みの曜日が土日祝だからとにかく頑張ろう。

 

最高の家族や仲間にも恵まれ目の前に広がる世界も明るいはずだ。だから臆すること無く突き進もう。

 

 

 

 

今は常に通過点

最近、”どう生きていくべきか。”と考える事がよくある。今回はその事について少し書いていこうと思う。

小学生の頃、年が経つにつれ自分の成長が顕著に現れ、それがとても楽しかったように思う。伸びる身長、足し算から掛け算など増える知識。また、テストや成績など自分の頑張りが”点数”として具現化されるのも自分のやり甲斐へと繋がった。

そこから中学生、高校生、専門学生となっていき、小学生の時程ではないがそれでも自分の成長を感じられるのが面白かった。

しかし、社会人となり目標としていたディーラーへ入社し店舗へ配属された後、その面白さというものは脆くも崩れ去ったのだった。

新人研修では色々な学びがあり、このような整備士になりたいといった夢も膨らんだが、配属後に待っていたのはマウントの取り合いや新人虐め、ひどいパワハラなどの酷い環境だった。

夢や先の事を考える余裕も無いほどに酷い日々が過ぎていった。しかし、もう一年頑張れば状況は変わるだろうと思い頑張ったが、改善される事はなく精神的に限界が来てしまい夢も同時に崩れ去った。

それからというもの、色々な仕事に挑戦した。教習指導員、営業職、作業員。どれもそれなりではあったがしっくりくるものではなかった。

目標を見失っていたのだろう。

僕には身近に目標となるような大人が居ない。
人生の目標としていた祖父は15歳の時、父は20歳の時にこの世を去った。
”どう生きていくべきか”などと相談出来る相手も身近に居なかった。

最も身近で相談できる相手を失うこと約10年。僕は30歳を目前としている。沢山の苦労をしてきたが良いことも沢山あった。父よりも早い25歳で結婚をし、父親となった。そして、祖父よりも早い28歳で家を手に入れた。これはある意味で祖父や父を超えたのではないかと思う。


自分なりにやるべき事はやったつもりなので、祖父や父には天から見守ってもらい、よっぽどヤバかったら助けてもらいたいと思う。


しかし、万が一僕が死んでも僕の命は家、生命保険、学資保険で数千万円に変わり残された家族を支えることができる。決して”0”ではない。


死んでも数千万円。せっかく生きるのならそれ以上の価値を見出していきたい。そして自分の人生に責任をもち、自分で評価し、より良いものにしていきたい。


まずは一級整備士を取得し、夢だった整備士にリベンジしたい。そして何より子供が僕の年齢ほどになった時、僕をはるかに超えられるような環境づくりが出来るよう頑張りたい。

タイムトラベル③

3人での初めてのドライブを終えた僕は、より一層気になる女子と仲良くなりたいと思うのだった。今日は、それからの事を書いてみようと思う。


3人でのドライブから数日、今度は気になる女子と2人でドライブに行きたいと思ったのだった。そろそろホタルが見られる季節だったので、これまで見たことの無かった僕はホタルを見に行こうと計画した。

すると、”お供しましょう∵”とLINEが返ってきた。やった!と言う気持ちと共に、この何とも言えない空気感の返信に独特の可愛らしさを感じたのだった。

そして当日、僕は愛車の紺色のファンカーゴで気になる女子の元へ向かった。そして今度は彼女を助手席に乗せ、僕らのドライブは幕を開けた。

少しお洒落な食事がしたかったのでDiamond Pizza&Coffeeでピザとアイス、ドリンクのセットを注文した。これは功を奏し、これまでシャイで人前であまり食べられなかった彼女も美味しく完食することができたのだった。

腹ごしらえを終えた僕らは、本命のホタルを見るために蛍遊の水辺・由加に向かった。駐車場に車を停めた僕は自前の小型懐中電灯でドヤ顔で足元を照らし、彼女を連れて遊歩道を歩き出した。そこにはまばらに光るホタル達の姿。初めてということもあり僕は感動した。後で分かったのだが彼女の地元はホタルの街のある真庭。近所の川でホタルがブンブン飛んでいるらしい。内心、大したことねーなー。って思ったそうだ。この時のために下見までしていたのに。

思ったより時間が余ってしまったので我が地元の切り札、瀬戸大橋を見に行くことにした。その日は土曜日。ちょうどライトアップしていたのだ。調子に乗った僕はまた小型懐中電灯で足元を照らし、遊歩道を歩いて鷲羽山山頂へ登った。鷲羽山山頂は周りが開けており360°大パノラマで見渡せる僕のお気に入りの場所だった。きれいな景色に彼女も喜んでくれた。そして、夜9時。ちょうど僕らの目の前で瀬戸大橋は明かりを消した。何か特別な事が起こる予感がした。

そして、その日は彼女を送り楽しいドライブは幕を閉じた。


それから、祭りの運営会議で顔を合わす事も多くだんだん仲は深まり、そのお陰もあって僕が部会長を努めた祭りは大盛り上がりで大成功を納めた。より調子に乗ることができたのだ。

祭りが終わってからも、これで終わりたくなかった僕は彼女をドライブに誘い続けた。イオンモールなど、大したところへは行けなかったが彼女と過ごす時間は何時も楽しかった。

なのに、関係は変わらず友達のまま。そう、告白はしていたものの振られ続けていたのだった。


それから時は過ぎ11月4日。そろそろ付き合ってよ。いいよの日で、良いよって言ってよ。なんて言ったけど駄目。納得のいかなかった僕は翌日も会うことにした。

そして忘れもしない2014年11月5日。岡山駅西口の地下駐輪場出入口。
こんなに一緒におって楽しいのになんで付き合ってくれんのん?これで付き合えんとか今までの時間なんなん?納得いかん。僕は大人気なく怒っていた。すると、”そんなに言うならいいよ。付き合ってあげる。名だけの彼女だけど。でも、嫌になったらすぐ別れるよ。”
こうして僕らは付き合うことになった。

ご飯に行きたかったが彼女は卒論真っ最中で行くことが出来なかった。

複雑な気持ちではあったものの嬉しかった僕は自転車を置き、一番に大親友へと電話をかけた。
”俺、付き合えたよ。本当にありがとう。なんか、このまま結婚できたらええな。その時はまた一番に伝えるよ!あと、メシ食ってないんよ。児島駅前のジョイフル行こう。”

そうして僕は色んな気持ちを胸に大親友の待つ児島へと電車に乗りこんだのだった。

ゲロ戦記

最後に会ったの、何時だっけ。会ってるようで会っていない。そんな僕の大親友について今日はだらだら書いていこう。


僕が彼と初めて会ったのは中学1年の頃。これまでぱっとしなかった小学校生活ともおさらばして、楽しい中学校生活を送ろうと意気込んでいた頃だ。

彼はもう一つの小学校の卒業生だった。僕から声をかけたような気がする。その理由は小学校の時に通ってたスイミングでめちゃくちゃ仲が良かったやつに似てたから。なんか、話しやすかったんだ。でもそのお陰で今があるのは本当に有難いね。

僕も彼も一人っ子で車が好き。違うのは彼は大豪邸に住んでいて、僕はボロボロの団地に住んでいたという事くらい。仲良くなるのに時間はそうかからなかった。

ある日の事だった。体育館の舞台袖で不良の同級生が彼に絡んでいた。女性の留学生がホームステイで彼の家に来る事にごちゃごちゃ抜かしていたのだ。あぁ、そんな事言うなよと思いながら彼の顔を見ると暗い顔をしていた。僕はたまらず声をかけた。気にするなよ。そして僕らは肩を組んで体育館の舞台から降り、笑いながら走り出したのだった。そして僕は勝手に彼の事を大親友だと言うようになった。

それからの中学校生活はと言うと、まぁ調子に乗っていた。ガンモドキみたいな顔のうるさい音楽の先生の背中に中指を立て、シンガポールで死んだポールとダジャレを言ったりおいコラおめおめ!と怒る社会科の先生に爆笑した。そして、グラウンド側の校舎、二階の廊下、青い空に向かって”ゲロ戦記ーーー!!!”と彼の横でよく叫んでいた。

今思えば僕はとんでもないやつだった。にも関わらず彼はいつも僕の隣で笑ってくれていた。学校帰りもまた楽しかった。部活の無い日は毎日のように一緒に帰った。彼の家の近くの空地で近所の人に注意されても自転車でドリフトしたり、彼の大豪邸に上げてもらっては現行だったPlay Station 2のRIDGE RACER Vでピンクのゴーストカーで回転ドリフトをやった。

その他にもバスケ部の可愛い先輩やバドミントン部のハーフでとても美しい先輩との淡い恋、映画に出てくるような不良がいる中での学校生活などとても濃い3年間を過ごしたのだった。