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つれづれなるまゝに、日くらし画面に向かひて

父のティアドロップ

今日はふと思い立って実家の団地の自分の部屋から父のティアドロップを持って帰ったのでそれについてだらだらと書いていこうと思う。


父は生前トラックの運転手をして僕ら家族の生活を支えてくれていた。夜、仕事に出ていき早朝帰ってくる。そして昼間は仕事のために寝ている。そんな生活だった。

僕が小学生くらいの時、重たい鉄製の玄関扉の鍵が開く”ガチャン”という音でよく目を覚ました記憶がある。それほど父の帰りが楽しみだったのだろう。どんな姿であれ父の事は好きだったし一緒に居られる時間は楽しかった。


ただ、そんな時間も決して多い訳ではなく、ほとんど祖父が父親代わりで休みはほとんど祖父の家で車のプラモデル等を作って過ごした。

祖父は凄い人だった。地元の大きな造船で船を造る職人で腕も凄く、多くの仲間から慕われていた。数々の逸話も残っている。そんな祖父は僕が高校に入る前に亡くなったが、小さい頃からいつしか祖父のようになりたいと思っていた。


やがて僕は中学生となり思春期が訪れる。良く暴れ、父とも良く喧嘩をした。家の事を母に任せ仕事しかしていない父に憤りを感じていたのだろう。

そんな父は、祖父が亡くなったあたりで離婚し祖母のいる実家で過ごすようになった。そして数年後、僕が20歳の時に亡くなった。


それからというもの僕は手探りで生きてきた。ゆくゆくは祖父のように凄い人になりたいと思うがどうしたらなれるのかさっぱり分からない。結婚はしたし子供もできたし家も買ったが、仕事は上手く行かないし鬱にはなるし流行り病の後遺症で死にかけるし踏んだり蹴ったりだ。


だが、そんな時思い出すのは父の姿だ息子と十分な時間を過ごす事が出来ず今思えば可哀想だったが、それでも良いと一生懸命仕事をして僕らを守ってくれた。

身体がしんどいにも関わらず釣りに連れて行ってくれた。ヒトデが釣れたり新しいルアーが飛んでいったり。まともな魚が釣れた記憶はないが楽しかった。

運転がとても上手く、よくドライブにも連れて行ってくれた。王子ヶ岳や金甲山、岡山城、神戸、色んな所へ連れて行ってくれたり、児島湖沿いの美容院まで毎月のように散髪に連れて行ってくれた。

そんな父と過ごした何気ない時間は10年ほど経った今でも僕の宝物である。

今日持って帰った黒いメタルフレームボシュロムのガラスレンズのレイバンのティアドロップは父が車に乗る時にいつもかけていたものだ。今まで自分には似合わないと思っていたが30歳になる年だし、そろそろかけることができるだろうと思ったのだ。

出来る限り手入れをして身につけ、父がしてくれたように僕も息子と過ごす何気ない時間を大切にしていきたい。そう思ったのだった。